coward
「どうした、
」
お館様が顔を覗き込んでいる。
空いっぱいに広がった、絵の具を延ばしたような空が背後に見える。
鎧兜を身につけていないお館様は、
普通の人間とは違うために周囲の風景から浮いている。
まるで空を魚が泳いでいるような、違和感。
「何を泣いておる」
自分が泣いているのだ、とお館様に言われるまで気がつかなかった。
手で拭ってみると、確かに頬が濡れている。
目じりからあふれ出た涙が耳に少しだけ入って、
は震えた。
「ぬぅ……」
唸る声が腹に響く。
戦場で敵が怖れるのも無理は無い。
こんなお館様に向かっていく幸村も信じられない。
「大丈夫です、少し昼寝していただけです」
にっこり、と微笑む。
お館様の顔は逆光でよく見えないが、
眉間に皺を寄せて不機嫌そうな顔をしている。
何か悩むようなことでもあったのだろうか?
「昼寝をして、何故泣く」
お館様は顔をあげ、無言で立ち上がれと言った。
見下ろす顔がとても怖い。
「お館様がお亡くなりになる夢を見ました故」
は起き上がった。
春の日差しがいくら気持ちが良いからと言って、
土手で昼寝するものではないらしい。
背中についた塵をはたいて、顔の涙を手の甲で拭った。
急に立ち上がったせいで少し眩々する。
お館様は「ほう」と頷きながら、此方を見ている。
先を続けろという意味だろうか?
「不安で不安で堪らないのです。
お館様が死んでしまうのではないかと思うと」
「わしには幸村も佐助も、お主も居る。
そう易々とは死なぬ」
少し不機嫌そうな声。
そんな馬鹿な事を言ってくれるなという声。
ごめんなさい、とすぐに謝ってしまいたくなる声だ。
決然と言い放ったお館様の顔に迷いは無かった。
彼が迷っている姿など、一度も見たことが無い。
は少しだけほっとした。
ほっとすると、幸村や佐助と同じに扱われていることが恥ずかしくなった。
彼らのように、鬼神のような働きをすることはできない。
「私は幸村様にも、佐助様にも敵いませぬ。
そう並べて頂いては申し訳が立ちませぬ」
そう言うと、お館様は片眉を持ち上げた。
「お主もワシを支えておることには変わりなかろう」
そう言って、ぎゅうっと抱きしめてくれた。
いつも、お館様の抱擁はきつすぎて苦しい。
でも、嬉しい。
お館様はすぐに
を放して、肩を掴んだ。
そして、その力強い目で
の目を覗き込んだ。
「不安に思うならば、お主も幸村や佐助のように強くなれ。
そうして、ワシの背中を守ってみせよ」
それがお主の本分であろう。
そう、目が語っていた気がする。
そんな無茶な話は無いよなぁ、と佐助のような感想を持ってしまった。
「その為の稽古を逃げておっては、いくら何でも頼りないがのう」
そう言って、お館様は噴き出した。
豪快に笑うお館様を見て、
は胸の不安がすっと晴れるのが判った。
「探しに来てくださったのですか?」
「散歩じゃ、散歩。どうじゃ、一緒に来るか?」
お館様のお誘いなら、どこへでも。
「ご一緒します!」
今度は、心から笑った。
お館様も微笑んでくれた。
「お主はそういう顔がよう似合うておるわ」
そう言って、わしゃわしゃと頭を撫でてくれた。
幸せな気分になって、
はつい顔を赤らめて俯いた。
そうだ、そうだ。
武田軍は戦国最強なのだから。
だから、こんな弱気になってはいけない。
「ほれ、置いていくぞ」
振り返ってもくれず、お館様は歩いていく。
「はい!」
もう歩き始めていたお館様を追って、
は走った。
その泰然とした背中を、
たまには幸村のように必死であとを追っても良いのではないか、と思った。
たまには、暑苦しくたって良いじゃない。
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