不安
武田軍の一番槍は虎の若子、真田幸村と決まっている。
武田軍の忍は猿飛佐助と決まっている。
は彼等の背中を見送る、一人の凡人でしかない。
彼等のような活躍をすることもできず、
また、知略をもって仕えるに値するほどの知識は持ち合わせていない
。
ふと、目の前に立つお館様の背中を見た。
広すぎる背中からでも威厳が漂っている。
その手に握られているのは人の身の丈以上の大きな斧だ。
一度持ち上げようとしてみたが、一寸たりとも動かすことができなか
った。
それを軽々振り回すのだから、武田軍最強の名は伊達ではない。
は必要なのかどうかわからないお館様の護衛をしている。
軍師の山本勘介に一応相談してみたが、
用心に越したことは無いといわれた。
だから、策として間違っているという訳では無さそうだ。
そもそもお館様が判断を間違えることなどありえない。
今の立場に不満がある訳ではない。
軍神と謳われる上杉謙信と対等に渡りあうような人間の近くに居られ
る
事は武人として光栄な事であるし、幾度も命の危機を救ってもらった
りもした。
これで憧れない人間は居ないはずだ。
「居るか、佐助」
「ここに居ますよっと」
お館様の呼びかけに応じて佐助が何処からともなく姿を現した。
彼は一体いつ何処で寝ているのだろうか?
「幸村がもうすぐ苦戦するやもしれぬ」
「任せとけってぇ」
「うむ、行け」
「了解!」
しゅん、と音がして佐助の姿が掻き消えた。
には彼がどうやって移動しているのか理解できない。
「どうした、不服そうな顔をしておるな、
」
顔に出ていたのだろうか。
「慢心するでないぞ」
「心得ております。
私などのような人間がここに居ても良いのかと、少し不安になった
だけです」
口に出しても仕方がないと判っている。
しかし、口に出して腹から不安を吐き出してしまいたかった。
熱く燃え滾ることを信念とする幸村に聞かれたら、
ぶん殴られてしまうのではないかと思うような台詞である。
「ふむ……わしが認めておるという理由は不服か」
「いえ、そういう訳では……」
「判っておる。
戯れに言うただけじゃ。」
お館様が戯れ?
その状況が可笑しくて、
は笑ってしまった。
お館様も口元だけ笑っていた。
怒られるのではないか、と思っていたのでほっとした。
「ここで戦場を俯瞰するのはつまらぬか?」
「いえ、いえ。恐悦至極にございます。」
「お主を身近に置いておるのはわしの我侭でな、不自由をさせておる
。」
信玄は眉根を寄せた。
自分が至らないのがそれほど不愉快なのだろうか。
「いえ、いえ。
私が至らぬ故お役目を果たせず、申し訳ありませぬ。」
は俯いた。
役に立たない上に、戦の最中でさえこうして喋ってばかりいる。
他の武将は前線に出たり、信玄の近くにいたり、
状況は様々だが、お館様の護衛になってからはとんと戦場に出ていな
い。
やはり、自分の力量が足りない故の事なのだろうか。
「構わぬ。気に病むことはない。
さっきも言ったが、
をここに置いているのはわしの我侭じゃ。
何か望みがあるなら言うてみよ。」
「その、我侭とは…」
聞くと、信玄は苦笑した。
「前線に出すといつ死ぬか判らぬからな。
近くにおれば守ることもできよう。
わしはお主を失いたくないのでな。
将としての振る舞いとは思えぬが」
一瞬の間をおいて、顔が熱くてたまらなくなった。
「え、あの、その……」
「ずっと、ついて来てくれぬか?」
「…勿論でございます」
こんな弱い人間でもよろしければ、どこまでもついて参ります。
そう思いながら、そっと、信玄の傍に並んだ。
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