狙撃手の憂鬱


は戦場に程近い高台の上で、銃に火薬と弾を込めた。
何故こんな所でが一人でいるのかというと、
が他人よりもう少しだけ鉄砲の扱いに秀でていたというだけである。
良い銃を一丁与えられて、ここから先ほどの通り敵を狙撃する。

火縄を丁度良い具合に設定し、照準を合わせる。
三、二、一。

ガウンッ

銃声が響いた。
戦場には何十丁という銃が配置されているので、
よほど気をつけない限り、
独りだけ別の場所から発砲しているとは考えないだろう。

戦場の只中で、が狙った敵の武将が馬上から人が転げ落ちた。
次の武将だ、急いで弾を込め直さなければ。

筒を掃除して、火薬と弾を込め、火縄を調整する。
思いついて、主君である信長の姿を探した。
彼は腕を組んで敵方を睨みつけている。
真っ直ぐに、敵総大将の武田信玄が居る場所に向かって。

全身から立ち上る瘴気のような殺気に全身が粟立つ。
彼こそが天下を統一する人なのだと思うと、
その軍の一部として働いていられるのが嬉しい。

じろり、と魔王がこちらを睨んだ。
視線だけで射殺されそうな気がする。
背筋に悪寒が走った。

はもう一度敵の姿を探した。
赤い、土埃の舞う戦場でも目立つ真田幸村の姿を。

見つけた。

は銃を構えなおし、阿呆のように目立つ幸村に照準を合わせた。
幸いな事に、彼はまだ情勢を見定めるためか一所に止まっている。
伝令が入れ替わり立ち代り、幸村に何やら報告している。

「さようなら、武田の若虎。」

はにやり、と口の端を持ち上げて息を詰めた。
銃を構え、引鉄に指をかける。
三、二、一。

「悪いね、こっちもまだ負けられないんだわ。」

じゅう、と嫌な音がした。
どうやら火縄の火が揉み消されたらしい。
ゆっくり振り返ると、
赤毛の青年が戦場に似つかわしくない微笑を浮かべて立っていた。

「まだ、ということはいつかは大丈夫になるというのかしら?」

聞くと、青年は苦笑した。

「…前言撤回、こっちも負けられないんだわ。
真田の旦那なら鉄砲の弾も避けられそうだけど、
危険を前もって取り除くのが俺様の仕事でさ。」

へらっと笑った男は、どうやら忍のようである。
真田の忍。

「ああ、もしかして、猿飛佐助?」

「覚えてくださって、どーも!
俺様って超有名人!」

へらへら笑う姿は、本当に戦場に似合わない。
これがあの有名な猿飛佐助か、とじろじろ眺めた。

「私一人殺したところで、何か変わるかしらん?」

「俺様優秀だから、お嬢さんが何者かくらいは知ってるんだよ。
並の武将より性質悪い、ってね。」

ふ、と佐助の顔から笑顔が消えた。
まずい、地雷を踏んだのだろうか?

かちゃり、と大きな手裏剣を構える。
はそっと、小さく舌打ちした。
鉄砲で遠くの人間を狙うことがの仕事であって、
ごく至近から襲い掛かって来ることは想定外である。

いざとなったら鉄砲でこの男を殴り飛ばしてやろう、
と安直に考えたが、
信長が南蛮人から直接購入したという鉄砲を壊す勇気は無い。
たとえ鉄砲とひきかえに生き残っても、
それを弁償する能力は無い。
死のうが逃げようが、どちらにしろ地獄である。
ならば、死んだ方がマシというものだ。

ぎゅ、と目を瞑った。




ガウンッ




銃声に驚いて目蓋をゆっくり持ち上げると、
目の前に居たはずの佐助がいなかった。

「ふー…危ない危ないっと。」

声が、頭上から降ってきたので、そちらを見上げた。
佐助は引きつった笑いを浮かべて遠くを見ている。
もそちらを見ると、信長がショットガンを構えて此方を睨んでいる。

は慌てて銃に火を入れようとしたところで、佐助は両手を顔の横に上げた。

「降参、降参!
いくら俺様だって、こんな分が悪い戦い挑まないっつーの。
なーんか、お邪魔みたいだしぃ。」

にやにやと意地の悪そうな笑いを浮かべて、
佐助は信長の方を見た。
また銃声がして、佐助が乗っていた枝が落ちた。

「いやー…本気でヤバイって。
魔王様のお気に入りに手なんか出すものじゃないわぁ。」

!!そこの小童の首をこれに持て!」

信長の怒声が聞こえた。
聞こえているのだろうか、だとしたら相当な地獄耳だ。
首を持てと言われても、は今まで一度たりとも首などもって行ったことは無い。

「退散、退散!
んじゃ、またなー。」

妙に気が抜ける台詞を残して、佐助は高く跳んだ。
落ちる、かと思いきや大きな烏が一羽飛んで来て、
佐助はそれに掴まって滑空していった。
どうやら危機を脱したらしく、はほう、とひとつ溜息をついた。

見ると、若虎は既に前線に出て蘭丸や濃姫と戦っている。
もう狙撃する事はできない。
敵総大将は遠く、射程外である。

よ、下がれ。」

信長は怒ったようにそう言ったので、は込めた一発で適当な武将を殺して、
銃を片付けて高台から降りた。
怒られてしまったことで、どっと疲れた。

信長の所へ行くと、じろり、と睨まれた。

「自分の身くらい自分で守らぬか、馬鹿者が…。
何をしておる、下がれ。」

「も、申し訳ございませんでした!!」

ぺこり、とお辞儀をする。
信長はに一瞥もくれなかった。
はそそくさと、銃が入った箱を抱えてその場を後にして後ろに下がった。
ああ、怖かった。
でも。

守ってくださった…?

確かに、狙撃手としてを育てるためにいくらかかったのか、は知らない。
その原価を考えると助けるのが常識というものかもしれないが。
他の将に比べて、身を守る術が無いというのも事実だが。

なんというか、とても、嬉しい。

嬉しい、と思うと顔が自然とにやけてしまう。
戦場なのだから、と気合を入れなおしても、やっぱりにやける。
魔王のお気にりになれると良いなぁ、などと思いながら、
「魔王のお気に入り」は溜息をついた。