花盗人


『きっとをお嫁さんにするから!』

そう言って、にっこりと微笑んだ顔は女の子のようで、
はこう言い返してやったのだった。

『私より女の子らしい男が旦那なんて、絶対に嫌』

親の目を盗み、城の中をふらふら歩いていたときに見つけた女の子。
実は男だと知ったのは帰る直前の事で、
更にそんな事を口走ったので驚いた。

言い返すと、若君はしゅん、としょげてしまった。
その様子が可愛らしいので、はにやにやと意地悪く笑った。

『じゃあね』

『絶対、絶対に迎えに行くからね!』

そう言って、見送ってくれた。
可愛らしい子供の戯言。
思い出すとつい頬が緩む。

あの後見つかって、こっぴどく怒られたものだ。
そのまま随分世間知らずな娘に育ってしまった。

「何にやにや笑ってんのよ、気持ち悪いわね」

母親が頬を軽くつねった。

「痛い、痛い!」

はその手を軽くはたいた。

「まぁ、それなりのおうちに嫁げて良かったじゃないの。
 私もこれで安心できるわ」

悪かったわね、行かず後家で。
そう言いたい気持ちを抑えて、は多少ぎこちない笑顔を作った。

「それに、お婿さんも人が良さそうじゃないの。
 追い出されないように気をつけるんだよ」

「はぁい」

何くれと世話を焼きたがるようになった母を見ると、
どうやら嫁に出すのが寂しいのかもしれない。
兄嫁が中心に家を切り盛りしているので、
母が面倒を見る対象の一つが減るのが嫌なのかもしれない。

嫁入り道具を纏めていると、わいわいと玄関の方が騒がしくなった。
またお喋りが好きなお隣の奥さんがいらしたのかしら、
などと思いながら、は荷造りを続けていた。

これから自分の旦那になる男の顔を思い浮かべた。
誠実そうな、優しい瞳。
少しだけ、あの若君を思い出す。
名前すら知らない。
今の長曾我部の当主は元親という、鬼の異名を取る男だそうだが、
さしずめその弟か何かだったのだろう。

「ちょっと、お待ち下さい!!」

玄関の方で、兄嫁がそんな風に言うのが聞こえた。
足音が二つ近づいてくる。

「お隣の奥さんに結婚が決まったと伝えるの、忘れた訳無いわよね」

母も不思議そうに近づいてくる足音の方を見た。

「まさか。
 お隣の奥さん、伝える前から知ってたもの」

「そうよね、本当に地獄耳なんだから」

ふう、と同時に溜息をついて少し笑った。
足音は順調に近づき、の部屋の障子が勢い良く開かれた。

「おう、邪魔するぜぃ」

銀髪の、眼帯の、柄の悪い男が立っていた。
その隣で兄嫁があたふたと慌てている。

「元親様……どうなさいましたか?
 うちのろくでなしは今城に出向いているはずですが……」

母が困ったような笑顔で尋ねた。
この男が鬼の元親か、とはしげしげと眺めた。

「なぁに、お前さんの所の娘を頂戴しにきただけよ」

にやり、と元親は笑った。

「元親様、うちの娘は……」

「知ってる、祝言だろ?
 でもな、俺の方が先に約束してあんだ。
 なぁ、?」

三人の視線がいっきにに注がれる。
しかしにはこんな柄の悪い男と結婚を誓った覚えは無い。
ぽかんとしているを見て、元親はやれやれと肩をすくめた。

「忘れたとは言わせねぇぜ?
 まだほんの小せぇ頃に城で、一度きり会ったはずだ。
 まさか、忘れてんのか?」

「……私、お姫様みたいな若君しか知らないです」

そう言うと、母は噴出した。
兄嫁も口もとを押さえて笑いを堪えている。

「それが俺だよ……。
 ったく、想い続けた女に再会して最初の言葉がこれかよ」

元親は恥ずかしそうに頭を掻いた。

、あんた何で言わないのよ」

母は笑顔で、しかし内心腹のそこからふつふつと怒りを滾らせて、
の方を向いた。
その目が、少し怖ろしい。

「だって、本当に来ると思ってなかったし、
 小さいころの話だし……」

「ま、そういう訳だ。
 貰ってくぜ」

元親はずかずかと大股に部屋の中を突っ切り、
ひょいっと俵を担ぐようにを肩に担いだ。

「ちょっと、お待ち下さい!」

流石に、母も姉もぎょっとして元親を止めに入った。

「文句はこの俺様、長曾我部元親に言いに来いって相手に伝えてくんな。
 なんだったら、こっちから出向いてやってもいいぜ?」

けらけらと笑いながら、
元親は二人の制止の手をすりぬけて庭に飛び降りた。

「……ちょっと、待って!」

あまりに突然の展開に、はそこで漸くそれだけ口にした。

「何だ、嫌なのか?」

むっとした様子の声が、聞こえた。
しかめっ面でもしているのか知らないが、
に見えるのは彼の背中くらいである。

「まぁ、嫌って言っても聞いてやらねぇけどな」

そう言って、元親は走りだした。
上下に揺れて、酔いそうだ。

「う……」

「吐くのはちょっと我慢しろよ?」

笑いながらそう言うのが聞こえた。

「アニキー!!こっちです!!」

「おう!」

元親はその声の方に走り、馬にを担いだまま飛び乗った。
そのまま馬を走らせる。






「うぷ……」

が思考停止状態から回復したのは、
城の一室に通されてお茶を一口飲んでからだった。
何なのだ、これは。
一体何の嫌がらせなんだ!

元親はにやにやと笑いながら、
脇息に頬杖をつきながらこちらを眺めている。
何が可笑しいのか一向わからない。
というか、手を伸ばせば触れられるような距離で、
穴が開きそうなほどこっちを見るな!

「……馬鹿じゃないの?」

「大馬鹿者だ、俺は」

は一気にお茶を喉に流し込んだ。
ぐい、と口元を手の甲で拭いながら、
茶器を思いっきり畳のうえにおいてやる。

「良い飲みっぷりだな、酒の方が良かったか?」

「放っておいて」

睨みつけてやると、元親はさらにニヤニヤ笑った。

「かわらねぇなぁ、お前」

「そのきっつい所」と元親は続けたので、
はさらに表情を険しくした。

「五月蝿い」

「ま、連れてきた甲斐があるって物だけどな」

そう言って、元親はの腕を引いた。
ちゅ、とおでこに唇が触れた。

「俺もお前を誰かにくれてやるほど呆けちゃいねぇぜ」

はふい、と顔を背けた。
けらけら、と元親が笑う声が聞こえた。

、お前が言ってた条件満たしたろ?」

「本当に、一回死んできたら?」

「物騒な奴だな」と元親はまた笑った。
何がそんなに楽しいのか。

それでも、迎えに来てくれたことが嬉しかったりだとか、
こんな風に成長するとは思っていなかったが、
あの約束をずっと自分も覚えていたりだとか、
そういう事はもう暫くの間黙っておくことにする。

肩に担いで街中を馬で走った、せめてもの仕返しだ。